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【ソウル=ニューシース】金エリの ‘映画を論ずる’
韓国映画で ‘初恋’がいっそう現実的に描かれている.
既存の韓国映画で初恋の少女ないし女人は露だけ食べてトイレも行かないことのように思いきり以上化した女性像だった. ‘男女七歳不同席’という儒教的価値観が落ち着いたうちにお互いに近接することができなながら生じた誤解なら誤解だった.
いわゆる ‘初恋アイコン’と呼ばれた清純女俳優ソン・イェジンが見せてくれた姿を考えて見れば分かる. 男性たちには手に触れるようではなくて, 初々しい天使みたいで天女みたいなイメージで描かれた. ‘酔画仙’(2002), ‘クラシック’(2003), ‘初恋射手決起大会’(2003) 位を通して病弱で可憐で保護本能を精一杯刺激する印象が強化されて来た. 固典主義時代にゲーテが描いた初恋ロテの姿で一寸も成長することができなかったと言おうか.
男性の目に対象化されたこんな姿態が時代が変わりながら地の上に下って堅固に現実に足を踏むようになった. 最近ビックヒトを打っている映画 ‘建築学概論’は “私たちは皆誰かの初恋だった”はタイトルを掲げるほどリアルな初恋相手を見せてくれている.
30代離婚女になって現われた書収(ハン・ガイン)は酒に酔うとでたらめに険しい悪口を吐くだけ現実的で障りない性格だが, 大学 1年生の時の書収(収支)度憚りなくその同じ年齢女子大生が書くに値する言いぐさをとんとん吐き出す. 先に近付いて丁寧でない言葉を書こうと提案するほどに主体的ながらも心安い. “私がソウル上って来ようといくらナンリチョッヌンズル分かるのか”のようにぴったりそのナイッデに言う言った表現と口調をありありとよくいかし出した. それに江南に住みたがって, 江南に住む先輩を片思いするその同じ年齢が持つに値する俗物根性も現実的で, 期待者だ覚めてゆばりがしたいと網よく見なさいと頼んで照れくさい瞬間を自然に越すこともぴったりあり得る状況だ.
映画 ‘銀校’も理想的な初恋の影を取り除けてブバックした少女を描き出した. 国民の時の利敵です(パク・へイル)は自分に付く女子高生韓銀校(金コウン)から純潔な初恋のイメージを切なく渇求するが, 銀校のそんなイメージは利敵要の想像の中でばかり存在する. 実際は ‘足と擦りむけた’ 女子高生があるだけだ. 利敵要が盗み見するセックスシーンで銀校は利敵要の弟子書誌優(キム・ムヨル)と上手に性交するのに, これは利敵要が ‘娘’に理想化したことと違いもう多数の性経験があったという意味だ.
銀校は決して中が深いとか格別に感受性がすぐれるとか特別に外貌が美しい少女でもない. ただランドリーを尋ねて制服スカートを短く減らして入庫, 同じ年齢子供達が書く卑属語をとんとん投げる 10代女の子であるだけだ. 朴犯信義原作小説を見れば弁護士 Qの目にこういうした点がもっと赤裸裸に描写されるのに, 老視人はただ自分が持つことができなかった若さという爽やかさにひかれただけだ.
映画で銀校の言いぐさもとてもリアルだ. 子供と大人の間に位した女学生が使うに値するちょっと甘えてかかるようながらも子供のような響きがある発声だ. 金コウンがインタビューで明らかにしたように “銀校という子供を観客たちに鮮かに, 現実の中に存在する児だということをお見せすることができる”と “映画の中で限りなく純粋で溌剌として可愛らしかったりするが一方ではふざけたり癖がない時もあるんじゃないか”と賢くつき出した姿だ.
注目するに値する点は銀校が二人の男大人の間で決して受動的にとどまるだけではないというのだ. 詩人の家に先に尋ねて来てバイトをすると言ったことも銀校だったし, 書誌優のとんぼでまた尋ねて来たことも銀校だった. 映画では男性の目に閉じこめられた被写体に指定されるしかない映像媒体表現の限界に結んでいるが, 躍動的で挑発的に関係を先に結んで行って能動性の余地を見せてくれたという点も得意するに値する.
むしろこのような男性役目の俳優が持った固有の純粋なイメージが ‘初恋’という映画のテーマにもっと落ちこむようにする要素になった. 彼らが夢見るから, 彼ら腹中初恋に観客の共感島が精一杯上昇するしかない構図だ. ‘建築学ヶでは’でイゼフンはティー一つない白い肌と性慾みたいなこととは距離が遠い罪がない目つきと表情, 粗悪な言行で初恋の純純性を守り出した. 思いきり下手ながらも果てしなくボックチァオルは感情, 一人で想像して勘違いして背信感に震える五してもイゼフンが演技したから納得することができた.
‘銀校’もパク・へイルという俳優が持った白くて清い外貌といきいきとしたイメージに絶対的によっている. ジョン・ジウ監督もこれを分かってわざわざ若いバックヘイルウをキャスティングして労役扮装をさせたはずだ. 劇中利敵要と銀校が性的接触をすることもパク・へイルが本来の若い姿に帰って来た時だけだ. 本当に老けたアクターに利敵です役目を任せたらこの映画は淫らな ‘ペドフィリア’に止めたかも知れない. 本当に監督がインタビューで言ったパク・へイルが持った ‘好感’というのもこのような広範囲な意味を含んでいるのだから見える.

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